80年生まれの3人が語る!これから命の終わりの向き合い方

看護




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「残された時間」を告げるとき

「後悔しない死の迎え方」12月20日発売

医者の本音 大ヒット!すでに第7版!

Yahoo!などで連載中

 

豪華な3名の看取りについてのお話です。

看取りのケア 中直り現象

 

中直りとは、医学的な根拠はないけれど、死ぬ直前に元気を取り戻したようにみえるときがあります。

ずっと眠ったようだったのに、急に話したり、食べたりすることなどです。

医学的にはアドレナリンやエンドルフィンが関連してるかもしれませんが、まだ未開の地です。

正式な医学用語としては、存在しませんが

このような体験をしている医療者は多いのではないでしょうか?

「中治り」、「仲直り」、「入舞」、「なかよしの時間」など呼び方はいろいろあるようです。

 

 

たとえ、中直りという言葉を認識していないくても

このタイミングが最後のチャンスという感覚的に思うときは、医療者の中には、経験している方もいるでしょう。

 

ただ、当事者側の家族としては、「病気が治っている!元気なった!」と勘違いすることも・・・

 

 

 

中山Dr
思い出してみると、今しかないって思うと外出してもらうなどしてもらっていた。言葉として知らなかった。

 

 

西Dr

医療者や、緩和ケアに関わる医療者でもメジャーではない印象。

医師の本質として、「今やっている治療が効いてるから良くなっている」と思いたい心理的要因もある。

 

「中直り」については、論文があるわけでもないです。

また、全員にそのような現象があるわけでもないのです。

あとから振り返って「そういえば、あのときそうだったねー」となることも。

医療的介入が多いと仲直りが起きにくいとも言われているようです。

 

もしも、お別れが近いと説明を受けていて、ずっと眠ったようにしていた家族が急に話し始めたり、何かを食べたいと言ったりすることに遭遇したら

「元気になった!」と空回りするのではなく

最期の時間のコミュニケーションの時間、そんなこともあると心に止めておくとよいですね。

 

準備があるのとないのでは、自分のこころが違います

何事も準備がすべて

準備することが自分を守ってくれる

そう思います

看取りのケア 医師として家族に伝えたいこと

西先生 緩和ケア技術の進歩による弊害

 

西Dr

緩和ケアが適切に介入すると本当に平穏に過ごせる。歩けるし、食べられるし、トイレにもいける。

皆さんがイメージしているがんの末期状態なんて思えないくらいに毎日淡々と過ごせる。

そんな淡々とした日々を過ごして、亡くなったとき、家族から「突然状態が悪くなった!昨日まであんなに元気だったのに!医療ミスだ!」と責められることがある。

 

もちろんいつ何がおきてもおかしくないと説明はしている。

 

後閑Ns
Twitterで拝見して、そのこときどうやって対応したんだろうって思いました。

 

 

後閑Ns

これが自然な亡くなり方ですよ。

最期まで人間として尊厳を保つことができましたよね。

素晴らしいことではないですか?どう思いますか?と話すようにしています。

 

 

核家族化、地域との関係の希薄化している現代、特に若い世代では、病気の家族を看取った経験はおろか、お葬式などへの参列経験者も少ないでしょう。

ゲームやアニメ、ドラマ、映画など、死の情報はエンターテイメントから得ていることも多いと思います。

エンターテイメントでは、苦しみながら、もがきながら、何かに耐えている構図のほうが派手で、感情移入しやすく、盛り上がるものです。

しかし、近年、緩和ケア技術の進歩により、苦痛を取り、穏やかに着地できることが増えています。

苦しんで無くなることがすべてではなく、そうではない亡くなり方があるということを覚えていてほしいと思います。

 

中山Dr
とある著名人が亡くなった時に、ヤフーに寄稿した記事で、「思っているより最期は苦しくないし、悲惨な状況ではない」というようなことを書いたら、9割は安心したという意見だった。

死という、体験することができない、見えない、漠然とした存在に過剰な恐怖感を持たないでくださいね。

怖いから考えないのではなく、だからこそ考えて、言葉にしてほしいと思います。

 

緩和ケアがうまくいって、毎日穏やかに過ごすことができるなら

やりたいことは、なるべく早くに実行しましょう

 

今、言う

今、会う

今、行く

今、食べる

 

終末期の方に限らない話ですが

今日と明日が続くという人間の心理があるが、現実は違うものです。

淡々としているからこそ、一瞬一瞬を大切にしましょう

 

西先生の力強いお言葉・・・

終末期は悲惨ではない、苦しくない、恐ろしいことは想像しなくて良いby西先生

 

中山先生 主治医としてのお看取りについて

中山先生は、外科でバリバリ手術をしている外科医。

しかし、現在所属の病院には緩和ケア専門医がいないため、緩和ケアへも介入しています。

担当患者のお看取りは必ず自身で行うのだとか。

中山Dr

自分がメスを入れた患者に対して思い入れがあり、最初から最期まで囲い込みたい思いがある。

それは、患者のためではなく、自分のためだと思う。

これは美談ではなく、正しいとも思ってない、これを続けていたらぶっ倒れると思っているけどやっている

最期の医療行為と思っている、感情的な面が大きい

 

医師としてのリアルで複雑な心の内側を覗いてしました。

医師も心を痛めています。

中山先生は、担当患者さんが旅だったときは、痛飲するそうです。

医師は冷たい・・・なんて言葉たくさん聞きますけど

医師は心底患者さんのこと考えていますよ。

飲まなきゃやってらんないほどに心を痛めています。

 

看取りのケア 家族に知っててほしいこと

最期だからスペシャルということではなく、生きてきたプロセスがスペシャル

だからこそ、対話をしてほしい、言葉にしてほしい

後閑Ns
延命治療は、そもそも生き方を考える手段だったのに、最近は延命治療が目的になってしまっている。

 

・どういう風に生きていきたいかを家族で共有する
・家族がしたいことなのか?本人がしたいことなのか?双方ががごっちゃになっていることが多いので整理する
・家族同士の葛藤や、家族同士だから言えない面もあるので、必要時は看護師などアファシリテーターを入れて場をつくる
・家族だけで頑張らないで、医療者を頼ってほしい
・支える人にこそ支える人が必要

看取りのケア セルフケアの進化

喪ブログ(喪中ブログ)、喪イッター(喪中Twitter)

SNSで発信することで、自分の心を落ち着かせる、悲しみも共有する

第三者でもいいから共有したい、抱え込まないセルフケアの方法のひとつ

 

実は、私も祖父を亡くした時に

数日後に当時大流行中の「mixi」に祖父への思いや、思い出、を送る言葉として書きました。

だから、思いを吐き出すということは、とても効果的なセルフケアだと実感しています。

看取りのケア 何もしないという、積極的な選択

DNAR(do not attempt resuscitation)

患者本人または患者の利益にかかわる代理者の意思決定をうけて心肺蘇生法を行わないことを指します。

死期が近いとされる患者や家族に、どこまで処置をするのか?人工呼吸器は?点滴は?採血は?酸素は?など細かい項目について同意をとります。

この決定に関して、中山先生も西先生も「家族だけに決めさせないスタンス」と統一の意見でした。

私自身はびっくりしました。

インフォームドコンセントが重視されるようになり、わりと丸投げする医師にも出会ってきたからです。

西Dr

「私は、やることを勧めませせんので、いいですよね?」と伝える。

いいですか?とは言わない。

医者が決めたということで、家族の心理的負担を減らしたい。

医師としての責任と経験と様々な状況から、ある程度はリードしていく。

 

中山Dr

「しないことにしています」と話し、その根拠を丁寧に説明する。

何もしないことは辛い
点滴や栄養をやると、やることやりきった感は出る
しかしそれは本当に必要なのか
医者として何もしない勇気をもつ
何もしてないことをしていると切り替える
何もしないという積極的な選択

 

何もしないということは、看護師目線からも勇気のいることです。

つい、点滴1本入れたらいいのに・・・とか思ってしました。

協働する看護師として、医師の考え、患者・家族の考えを共有することが大切だと思いました。

 

 

もう全人類に聞いてほしい対談内容でした。

医師の患者に対する想いや、医師としての責任を持つ姿勢を目の当たりにして、胸が熱くなりました。

 

終末期、ターミナル、死、なんとなく漠然とした恐怖から解放されること間違いなし。

 

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